デパスおいちぃ

躁鬱病は治りません

ひとりが好き。だけど孤独が怖い。

文章を書いたり、何かを表現するのはすごく苦手。

私には学がないからだ。

 

小学生の頃見栄を張った両親はわたしを某県の有名女子中学校である某所へ受験をさせるためスパルタで勉強をさせた。

こんなことを言うのもおかしな話ではあるが、私自身頭は悪い方ではなかった。だから学校にも行かずに深夜まで勉強をし、それからゲームをし、就寝をする。またに小学生とは思えない廃人っぷりを発揮していた。その片隅で両親からの暴力と言葉の圧力があった。父が会社を辞めたのだ。その頃からだろうか、きっと「死にたい」という感情が芽生えたのは。

たまに学校に行ってももちろん友達なんていない。携帯を持っていたから唯一の楽しみは出会い系でのお小遣い稼ぎだった。テレフォンSEXをして男を騙す。当時小学生であった私だったが18歳の彩菜ちゃんになり切っていて、そこでは私を必要としてくれる男性がいる。普通の会話をするだけの男性も沢山いたし私に好意をもってくれる男性もいた。

ただ一つ問題点があったのだ。彩菜ちゃんにはリアルな生活が存在しないのだ。もちろんプライベートな話を求められる事もある。しかし私はリアルがない。私という人間には取り柄もなければ毎日暴力を振るわれ言葉の嫌味で傷を作り、逃げ場であったオシャレや音楽も成績が悪いとすべてベランダから捨てられる。学校に行っても友人はいないし、友人はネットチャットのもなちゃとでつくっていた。悲しさしかない私にはリアルがなかったのだ。だからリアルを聞かれると私は虚言しか吐くことが出来なかった。

そんな私は見事親の理想通り名門女子校に入った。

残念ながらそんな理想とは裏腹に私にはリアルがない。友人なんて出来るわけがなかった上に、所謂リア充カーストの1番上の女の男と連絡を取っていたことがどこからかバレてしまい中1のころからハブ人生を歩む事になった。仕方ないじゃないか、私は可愛いんだから。寄ってきたのは男の方からだったしナンパだぞ?(笑)彼氏を責めるべきじゃないか。しかしブスだから捨てられたくないだろう。私はお前らブスとは違うんだ死ねと思っていた。しかしそんなことは言えない。家庭もめちゃめちゃだった。誰かに必要とされたい、私は強く思った。

彩菜ちゃんはもう存在していない。

その出合い系サイトは閉鎖してしまったのだ。そうだろう、お小遣い稼ぎが大半のサクラだらけの出合い系サイトがまともに運営できるわけが無い。

だから私にはもう居場所がなかった。今みたいにソシャゲがあるわけもなければモバゲーやmixiも特に楽しくない。もうその頃から既にメンヘラはこじらせていた。リストカットが楽しくて仕方なかったのだ。今や後に働いたソープランドでナンバーワンになったお金で手術をし消えたもののリストカットが止まらなかった。生きている実感のないわたしは自らを傷つけ、その傷跡や痛みを感じないと生きている気がしなかったのだ。

その頃テキトーにmixiで出会った男がいた。何というか、いかにも私が嫌いな感じの男であった。はっきり言って私はインテリ系な頭が良さそうな感じの「うぇいwww」なんて言わないような容姿の男性が好きだ。その男はいかにもな「うぇいwww」系男子。

まあどうでもよかった、ただ単に処女を捨てるだけの道具だと思って最初から出会ったしそこから恋やら愛だとかが発生するわけでもない。初セックスの感想は、へー。の一言に尽きた。ピュアな緊張や傷付けてしまわないかだとかの配慮、そんな物は片隅にもなく、ただ単にどうでもいいなぁと思った。

そうして中一でめでたく脱処女をした私だったが、めでたく同時にエンコーデビューをした。名前はさくらちゃん。恐らくダ・カーポの影響だろう。中学入学と同時にJCブランドを活かし、高額でパンツは売っていたが身体は売ったことがなかった。まだ少し抵抗というか、羞恥心というか、 そういう物が私にも残っていたらしい。まずは手軽にオナ見から、それから手コキ、それから口でされるだけ、それからキスはなしの挿入と段々感覚が麻痺してしまい本格的なエンコー少女になってしまったのだ。けれど私には罪悪感も何も無かった。むしろ満たされてしまっていた。リストカットも減っていた。そう、私にリアルが出来たからだ。客は私を必要とし、擬似の愛情とお金をくれる。その代償として私は自分自身の体を提供するだけだ。さくらちゃんの設定は16歳で高校には一応行ってるが友人がいない。まあ年齢以外は本当のことだし年齢も話さない時も多かったし確実にリアルが出来たことには間違いはない。幸いな事にわたしは容姿には恵まれていた為、客が途切れる事は無かった。自己顕示欲を充たすのにエンコーは手っ取り早い。毎日稼いだ金額をスケジュール帳につけては増えていくお金に陶酔し、万札を数えて眠る。本物のリアルは最低最悪だが、さくらちゃんのリアルはそれで充たされていたのだ。

こんな人生を実家に帰ってくると思い出す。懐かしい過去だ。また気が向いたらりかちゃんの人生とめるるちゃんの人生でも書こうと思う。

昨晩思ったのだが、今の子達は現実にリアルがなくてもネットにリアルを作れる。少し自分の人生に後悔している私だからだこそ今の子達が羨ましい。今の私には遅くなってしまったが本当のリアルがある。

今日もデパスと酒がうまい。隣の家のワンカスが五月蝿い。こうして今日も孤独が苦手な私は自分は可愛いといい聞かせながらネット社会で生きていくのであろう。